訝しげにあの、と声を掛ければ、んー?と返ってくる。
頻繁におこるやり取り。
今の状況は決して頻繁におこるものではないのだけれど。
わけがわからない行動の意図が読めないという点においてはいつも通りなのかもしれない。

「何がしたいんですか」
「うーんなんかなー」
「取り敢えず顔が近いことに触れても構いませんかね」

不本意ながらこの距離は最大級にまで近いわけではないのだが。

それにしてもこの体勢はなんだ。
初体験だぞこんなの。
体験したくもないけれど。

「ドキドキする?」
「は?」
「あ、違うおれがドキドキすんのか」
「だから何なんですかさっきから」

向かい合わせの状態で、顔はそれなりに近くて、そして目の前の金髪の手は自分の頭に。
人一倍高い体温が髪を通してぼんやりと伝わってくる。
急に直接冬の空気に触れて冷えた普段外気に触れない部分も冷気に慣れたのか、それとも伝わってくる体温でか、もう寒気は感じない。

要はその程度の時間同じ状態で過ごしたという訳で。
だから何故、

「額を晒さなきゃならないんです」

いきなり走って現れたかと思えば、走ってきた勢いのまま片手で俺の前髪を全て掬い上げてそのまま押さえつけた。
おかげで普段厚い前髪で隠れている眉も額も晒されている。のだろう。自分からでは見えないから分からない。

何がしたいのか分からない行動に出られるのはいつものことで割とあることなのだが、正直これはやめてほしい。
まあ仕事の邪魔も勉強の邪魔も枕にするのもやめてほしいが。

前髪が捲れ上がるのは風呂に入る時と風の強い日くらいで、個人的にはなんとなく気恥ずかしくて嫌だ。
ずっと前に「デコ出してると余計童顔に見えんな」とも言われたし。兄貴に。腹立たしい。

「センセーがさあ、古典の」
「はあ」

突然後輩を捕まえて前髪全開に押さえつける謎の行為と古典の教師との間に何の因果関係があるというんだ。

「基本隠れてるモンを見ちゃうともうダメなんだって」
「……はあ?」
「なんつーか、見えねえモンとか見ちゃダメなモンとか見ちゃうと、もうなんての? 惹かれる? とかで」
「ちょっと待ってください。……あんた今何の授業やってるんですか」

説明を受けて余計に分からなくなった。
ここは説明を要求するより自分から質問していった方がいい。と思う。

「何のって」
「読んでる文章の出典くらい分かるでしょう」
「だって寝るし」
「寝るな」
「古文キライ」
「むしろ寝るな」
「じゃあ日吉教えてよ」
「なら出典でも何でも思い出してくださいよ」

そこまで言ってやっと真面目に考えるポーズをとりはじめた。
ただ片手は未だ俺の頭だ。

正直かなり間の抜けた光景なんだろう。
若干であろうと小難しげな表情と今の自分の対比はきっと相当釣り合わない。
せめてもの救いはこの場に他の人間がいないことだ。

「…………つつ、つづ? つつつ」
「筒井筒、ですか?」
「そうかも!」

そうそれ!ではなくてそうかも!
ここまで出てきただけでも褒めるべきだろうか。

「伊勢物語ですね。担当の趣味で何回かやりました」
「やっぱおめえアタマいいな!」
「しかしさっきの話と筒井筒と、なんの関係が?」
「あー…。すっげーほやほやとしか覚えてねえんだけど」
「それは分かってます」

軽く目を閉じて、記憶を探るような顔つきになる。
それでも片手はそのまま。
そんなに面白いか。

「いつも見えないモン見ちまうと、そのまんま目ぇ離せなくなって溺れて溺れて戻れなくなる、とか、多分そんなん」
「隠れてるものと言ったって、対象を選ぶと思いますが」

確かに俺が額を晒すことは普段ないけれど。
それに惹かれることはないだろう。
そもそも伊勢物語のどこからそういう話になったんだ。

「でそのあと神話かなんかの話とかもしてたんだけど」

完全に授業から脱線した話題じゃねえか。
そこしか聞いていない生徒が目の前にいますよ古典の先生。

「ギリシャ神話ですか?」
「わっかんね。なんかなー、シカにされちまったんだってさ」
「鹿?」
「うん。見ちゃいけないハダカを見たら目ぇ離せなくなってバレてシカにされてしまいましたー、っつーのがあんだと」
「へえ」

神話とやらも意外とシュールで面白いかもしれない。
ちなみにそのあと噛み殺されたらしい。

「で、センセーいわく、そういうヒミツなモンを見るとな、もうメロメロで後戻り出来ないぜらしいんだけど」
「今までの流れ全部そういう話だったんですか?」
「多分。でもさあ、日吉のハダカとか実は何回も見てるなあと思って」
「その時点で何かがおかしいですよねアンタの場合」
「もう既にちょう愛しちゃってるけどさ、もっとオボレテみたいじゃないですか」

その結果がこれか。
秘密でもなんでもないしこれ見て落ちるなんてないだろ。阿呆らしい恥ずかしい。

「で? 何かわかりました?」
「うーん。後戻りできねえっつうよりさ」
「より?」
「デコ出してんのかわいいな!」

阿呆か!
さっさと離れろひよこ頭。

「明日ぜってーピン持ってくる!」
「やめろ阿呆!」


ああどうせ隠れてるものを見られたなら
今すぐ鹿にでもなんにでもして噛み殺してしまいたい!





フィーリングで読んでいただけたらうれしいです!(いい笑顔)
調べながらやってたら面白かったです。

鹿にされて殺されちゃったのはアクタイオーンです。月の女神アルテミスの水浴びシーンを目撃、怒りに触れて…、だそうです。
決して覗きではないはずです。
筒井筒は、見るはずのなかったシーンを見ただんなさんが奥さんに惚れ直すというか、奥さん以外の女の人に興味がなくなった。っていう解釈から。

どっちも、「見えなかったものを見ちゃうともう引き込まれて離れられないのよ」だそうです。古典の先生が言ってた、ような気が、する……!