馬鹿馬鹿しい、とため息が漏れる。

告白やら果たし合いやらの定番スポットなのだろう、体育館のちょうど影になって人目につかない位置。

別に自分は一世一代の告白をしに来たのでもなければ、気にくわない連中と果たし合いをしに来たわけでもない。そんな暇はない。
ただ単に、二時間程前に終わった卒業式の後片付けをしていただけだ。

自分が初めて受け持ったクラスの生徒にはやはりそれ相応の愛着があって、彼らがそう思っていたのかどうかは分からないけれど、それなりに別れを惜しむ儀式のようなものはあって、最後の集団が帰るのを見届けて、そしてやっと後片付けに合流出来たのだ。

三年生を受け持っていた教師は多少遅れることが許されているから、問題はそこではない。
現に自分の先輩にあたる面倒見のいい短髪の教師はまだ教室か校門の辺りに残っているだろう。

問題はそこではない。
要するにそれではない問題が存在するわけだ。

「セーンセ」

自分の背後からいつの間にか聞きなれてしまった浮わついた声が聞こえる。
ああ、こいつもか。

「何の用だ? さっさと帰れ、卒業生」

振り返ればそこにいるのはひよこのような色の髪の生徒だった。

「いーじゃん別に。おれだってちゃんと先生に用くらいありますー」
「その前に制服をきちんと着ろ。卒業式くらいきっちりして来いと言っただろう」

詰め襟の下には指定のワイシャツではなく黄色のトレーナー。
この生徒にも手を焼いた。
ではなく、焼いているのだろう。
結局卒業式の今日までよく分からない奴だ。

つい数分前までこの場にいた連中ならば何を考えているのか、割と分かりやすかったのだけれど。
要は奴らは気に食わない教師を卒業を期に伸せればそれで良かったわけだ。
しかし残念ながら連中の予定は予定のまま終わった。
たかだか高校生4、5人程度に伸されてたまるか。

「いいじゃん似合うし」
「もう帰れ芥川」

せめてボタンくらいとめろと言ってはみたが、無理だと返された。
よく見れば金色のボタンは全てなくなっている。

「先生はいつでもカッタイなー」
「お前が緩すぎるんだ。用がないなら早く帰れ」
「だーからあるっつってんじゃん」
「なんだ」
「んー。お礼参り?」

ああそうだお前もだったか。

いくら卒業したとはいえ相手は自分の受け持ちの生徒で、それ以前にそもそも武道の心得のない人間に怪我をさせるわけにもいかない。
怪我をさせずに戦意を喪失させるのが一番だ。

目の前の金髪が一歩前へ踏み出す。二歩、三歩。
随分と近い。
殴りに来るならもっと勢いをつけて近づいて来るべきではないのか。

「先生さあ、おれと話す時っていーっつもココんとこ、シワよってるよなあ」

にこにことした掴み所のない表情は変わらず、自分と芥川慈郎の距離は一歩分になる。
人の眉間にさわるな。

「うるさい。殴られたいか」
「えー、やだよ、なんだっけ古武術? やってんしょ。おれ痛えのきらいだし」

やはり緩んだ表情のまま。
何がしたいんだこいつは。
殴りに来たんじゃないのか。殴られに来たのか。

「じゃ、しっつれーい」

子供の身体がやや動く。
右手か。
しかしこんな緩慢な動作で大人一人伸せると思っているのだろうか。

動いた右手が何故か平手のまま俺の左頬に添えられている。
このまま右を殴るつもりなのか。だとしたら右拳が飛んできた瞬間に腕を捕まえてしまうのが得策か。
こいつ左利きだったのか。

「たぶん違うと思うよ」

若干身体を硬くしたのだろう俺を見てまた笑ってそう言う。
何が面白い。

視線は芥川をとらえたまま、幾分か多く意識を右に傾ける。

来る。

相手の身体が動いたのを確認して、右手を素早く動かす。
けれど俺の手は空を切った。

右に逸れた視線を再び正面に戻すと、
目の前に顔があった。

「な」

「にをする」は言わせてもらえなかった。
ゼロ距離になる。
唇を重ねられる。

頬に置かれていた筈の手のひらはいつの間にか後頭部に移動している。
押し付けるように重なった唇が、どれだけの時間が経ったのかは知らないがようやく離された。

俺の頭から手を離してにっこり笑った芥川が、とんっと後ろへ一歩距離をとった。

「…………」
「奪っちった」
「……何のつもりだ」
「キッス泥棒?」
「阿呆か。ふざけてる暇があるなら帰れ」
「ふざけてないよ。帰りはすっけど」

何の嫌がらせだ。
ある種効果的な「お礼参り」かもしれない。少なくとも俺相手に数人がかりで殴りに来るよりは。
ただしこれだと共倒れというか痛み分けじゃないか。

「すきなんだよ」
「は?」

唐突な突拍子もない一言に思わず気の抜けた声が出る。

「おれは、先生が、すきです」

きっと眉間の皺すらも寄っていなかったんだろう。
言うなればぽかんとした表情なのだろう俺に、一瞬見せた真っ直ぐな顔を仕舞い込んで緩んだ笑顔を向けてくる。

「……お前、喧嘩売りに」
「は来てないってば。言ってんじゃん、すきすき大好き愛してるーって」
「………」
「だってセンセーさあ、どんだけすきっつっても信じてくんねんだもん」

だから行動で示してみました、と言ってポケットに手を入れる。
黒いポケットから出てきた手は軽く握られていた。
次は、殴りに来る。
と反射的に身体の前に出した手には、いつの間にか何かが乗せられていた。

予想通りこの問題児は、それなりの勢いをもって拳を走らせた。
しかしそれは目の前の俺までは達していなかったのだろう。

「だからさ、殴りに来てんじゃないんだって」
「…何だこれ」
「それキープしとくのすんげえ大変だったんだぜ?」
「頼んでない。要らん。捨てるぞ」
「まあまあ、貰っといてって。センセーおれのことすきなんだから」
「は?」

本日二回目である。
さっきからこの金髪、俺の理解の及ばない話ばかりしている気がしてならない。

「わけがわからない」
「先生はおれがすきだよ、ぜってえね、若くん」

余計にわけの分からない台詞を残して、元問題児は去っていった。


男が男に貰った(おそらくは)第二ボタンなんてどうしろと。



元生徒の捨て台詞が嘘でないと認めるのは、まだまだずっと、先のお話。





ぎりぎりオッケですよね?3月ですもんね?
せっかく書きたかった割と問題児ジローさん×高校教師日吉くんを書けたというのにこの達成感のなさは一体。
けど(完全に自分の趣味で)ジローさんを学ランにしたことは一切後悔していません。

余裕が出来たら加筆修正したい…です。
100331




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