机の脇に置いてある自分の携帯から、もう何年も聞き慣れた音が響いていた。
何の用だろうかと思いながら、通話ボタンを押す。


「はい」
『明日ひまー?』
「……はい?」


不覚にも反応が一瞬遅れてしまった。
この人の話に脈絡があったことなんて数えられる程じゃないか。
自分が一番分かってるだろう、自分には学習機能が備わっている筈だ驚いたら負けだぞ日吉若と言い聞かせて、最早日常のひとつに組み込まれている対応をとる。


「何があるんですか」


「何か」じゃなくて「何が」。
用事もないのに電話をかけてきたり家まで押し掛けてくることも多々あるが、この様子ならそれはないだろう。


『うん、だからね、明日ひま?』
「受験生に暇はありません」
『じゃあ明日おれんちおいでー』
「人の話は聞いてください」
『あ、あんま早いと寝てるかも』


ツー、ツー、ツー……


起こしてー、とか一方的に言うだけ言って、電話は切れた。


「あの人は本当に……」


はぁ、とため息を吐きながら携帯をぱたんと閉じる。

あの人は本当に変わらない。
むしろ以前に比べて、若干押しが強くなった分質が悪い。
今いくつだと思ってんだお互いに。


「……俺は行くなんて言ってないからな、一言も」






本当に、質が悪い。












小一時間程度図書館で勉強して、あの人が起きて、活動を開始しただろうタイミングを狙って、こじんまりとしたマンションに向かった。

ぴーんぽーん……と間の抜けた音のチャイムを鳴らすと、すぐにバタバタと足音が聞こえてきた。
「起きてたんだな……」と、自分の予想が当たったことに少し満足していると、勢い良く音をたてて開いたドアが鼻先をかすめた。
ドアが開く直前に上半身を軽く後ろへやったので、顔にぶつかるということはなかったけれど。

なんとなく、この人の行動は読めるようになったかと思う。




「ひよし〜〜〜っ」



―――――――甘かった。


「時と場所を考えてください!」



目の前を扉が通りすぎていった次の瞬間、俺はジローさんの腕の中にいた。
相変わらず体温が高い。


「ん〜、おはよ、ひよ」
「おはようございます離してください」
「だって離したら次させてくんないじゃん」


腕の力を強めながら、俺の首のあたりで言う。
確かにそうなのだが、いつ人が通るか分からないマンションの通路で男ふたりが抱き合っているという構図は、正確には一方的なのだが、さすがにまずいと思う。

ここは部屋に入る方が先決か……、と半ば諦めて、視界に入る黄色のふわふわに声をかけた。


「取り敢えず部屋に入ってドア閉めれば何してもいいんで早くしてください……」










結局、靴を脱ぐ間も鍵を締める間もなく思う存分抱きしめられて、今現在、何故か俺はジローさんの部屋で試験勉強をしていた。
腰には当然のような顔をしたジローさんがしがみついている。


「あの……、寝たいなら布団出しましょうか?」


勝手知ったる他人の何とやらだし、放って置くのもなんなのでそう言い出してみたが、


「ん〜……、やだー、ここがいいの〜」
「…そうですか」


床で寝ているあたり気になったけれど、よく考えてみればこの人は昔から床だの階段だの場所を気にせず寝ていたし、直接フローリングに寝ていないだけマシな方だろう。
ローテーブルの前に正座で参考書に向かっている自分と、自分に張り付いている先輩の下には、肌触りのいい夏物のカーペットがきちんと敷いてある。

無駄に大きなベッドとソファ以外にロクな家具を置いていない、まぁらしいと言えばらしいこの部屋に呆れた跡部さんが、見繕った家具一式を送って寄越したらしい。
誰も彼もがこの人に甘すぎだ。
おかげでこの人は大学に進学してすぐに、悠々自適な一人暮らしを満喫している。


「んぅう……」
「起きますか?」
「んー…、ひよしぃ……」


しばらく大人しくしていたが、またもぞもぞと動き出したので一度手を止めて視線をやった。
ジローさんの位置がずれて、さっきまで触れていた部分がひんやりと感じる。



ぎゅるるるるる………


「一応聞いておきますが、朝食は?」
「まだ〜…」


ある程度予測してはいたもののやはり呆れて、思わず軽いため息がもれる。


「どこか食べにでも行きますか?」


どうせまた家から一歩も外に出ないまま休日を終えるつもりなんでしょう、と続けると、あは、ばれた?と返ってきた。


「…………………お腹すいたぁ……」


その返答と表情から、外出の拒否を感じたのでまたため息をひとつ。


「はぁ……。もう何でも良いんですよね?適当に何か作るんでそこの机片付けておいて下さい」
「え、まじまじ?ひよしゴハンつくってくれんの?」
「元々そのつもりだったでしょう、アンタ」
「えへへ」


そのまま立ち上がろうとするが、腰が持ち上がらなかった。


「あの、人の話聞いてました?」
「うん」
「飯が食いたいのか違うのかハッキリして下さい」
「だーってさー、もうおれ死んじゃいそうなんだよ」
「つまり食事は要らないと」
「違うちがうって!だってさ?1週間日吉不足だったんだよ?」
「そりゃ学校が違いますから昔みたいに毎日ってわけにも行かないでしょう。それにアンタ1日何回も電話もメールもしてるじゃないですか」
「だから今充電中なの〜」


そのまま、さらに全身で抱きついてくる。
転んでしまいそうで焦った。


「ひよしー」
「何ですか」
「ウワキしたらおれ泣くからね?」
「寝言は寝て言って下さい」


朝食兼昼食はまだいいんだろうかと思いながらも、久しぶりのあたたかさにほだされて、ゆっくりと目の前にあるやわらかい黄色に触れていた。


「ひよしー」
「何ですか」
「もうここ住んじゃいなよー」
「寝言は寝て言って下さい」




けど、そうですね、






「考えておきますよ」






900HITリクエスト感謝です。雨女さまに捧げます。

[ジロ若のほのぼのな話]とのリクエストをいただいたのでひとり盛り上がっていたのですが、ちょっと、ううううん?な感じな気がします。
分かりにくいのですが[大学1年ジロー×高3日吉]です。
ちょっとしたら[ジローさん]って呼べるようになってたら良いな、なんて。
何年かしてちょっと慣れてでもまだドキドキで、っていうのが書きたかった!ん、ですけど…。