「先生、」 「おう、若。どうした?」 4限の日本史が終わり、教卓の教材を纏めている担任に声をかける。 一応、学年主任や保護者がいる時などは気をつけてはいるようだが、うっかり名前呼びをしてしまっているシーンなど誰もが見ているのだからいい加減常日頃から苗字呼びにすればいいのに。 そもそも端っから苗字にしておけばいいものを。 4限が終わったということはこの次は昼休みということであり、つまりは他の時間よりも教師を捕まえやすいということだ。 そのタイミングに質問をしに行く生徒は多いし、よくわからない女子の集団なんかはそこを狙って引き留めにかかる。話したければひとりで行けばいいのに。 俺は前者だ。 どうまかり間違っても後者ではない。 ノートの上に一回り小さい教科書を重ねた俺を視界に入れて、一度抱えた教材の類いを全て教卓の上に戻した。 この人のしっかり付き合うという意思表示なのだろうか。 「どこ?」 「すみません、ここなんですけど」 広げた教科書の一文に指を置いて文の終わりまで滑らせる。 「ああこの辺りなー。あれだろ、いきなり中国の歴史とか割り込んでくるからごっちゃになっちまうんだよな」 あの国名前変わりすぎなんだよ、と言いながら説明を始めた。 「要はこことここの、赤いとこと黄色いとこの喧嘩なんだよ。で、そこに色々政治的ナントカ、とかが絡んでくるのな?」 俺の呑み込みと反応を見ながらの解説。とても教師とは思えない長い髪が揺れる。 若干ゆっくりの説明は気が抜けるほど分かりやすくて、実は眠気に負けて意識が飛んだ部分だなんて申し訳なくてとても言えない。 それもしっかり授業以上だろう詳細でだ。クラスの他の連中はとっくに昼飯を食べ始めている。 先生だって、昼休みであることには変わりないのに。 せめてもの自己満足に、自分のために全力で聞く。 理解することに全神経を注ぐ。 「で、こうなる。あんまここは難しく考えない方がいいと思うぞ」 「………、ありがとうございました」 「おー。腹減ったろ。分かったか? ちゃんと」 「大丈夫です」 本当だ。 分からなくなったのは船を漕いだからだと本気で思う。 いい加減寝不足だろうか。 「腹が減ってるのは先生の方でしょう?」 「おーおー減った減った。弁当泥棒に飯盗られてたら飢え死ぬわ」 「大変失礼致しました。どうぞごゆっくりお食事を」 そう軽く皮肉ったところでどこからともなく、ぐう、という音が聞こえた。 途端目の前の担任が吹き出す。 苦しそうにひーひー腹を抱えながらばんばん叩いてくるものだから、思い切り睨んでやった。 「お前こそ弁当泥棒には気を付けろよ。腹が減っては戦は出来ねえぞー」 「それはどうも、ご丁寧に」 「お、お前はその心配なかったわ」 「は?」 くつくつ笑っていた目が俺をすり抜けて、教室の後ろを指差す。 「しっかり待ってんじゃんあいつ。さっさと行ってやれよ」 「……………」 俺の机の前に椅子を後ろ向きに置いて、でかい図体してこっちをちらちら伺っているバカがいた。 先生はそのバカを示しながら雑に置かれた教科書と出席簿の類いをまた片手で抱え直す。 「お前さ、あんまり心配かけちゃ悪いぞ」 「………何のことです」 「無理して頑張りすぎってこと」 「いきなり生徒指導ですか」 「飯食うまではお断りだな」 「無理して、って別にしてませんし自分のことは自分がよく分かってますから」 「その顔でよく言うよ」 「生まれつきこの顔ですが」 恐らくはむっとした表情でそう言うと、違う、と言うのと同時に荷物のない手の人差し指がび、と伸びてきた。 目に近くて、反射で身体が避ける。 「クマ」 目の下を指されて、今まで気づかなかったそこに触れる。触って分かる訳じゃないけれど。 「寝不足は美容に大敵よー」 「気持ち悪い声出さないでください」 確かに寝不足なのは事実で、居眠りなんてしてしまったのはその影響もあるのだろう。 だから目の下に隈が出来ていてもおかしくはない。 自主学習をいくらしても肝心の授業を聞いていないんじゃ意味がない。 そんなんじゃ、駄目なんだ。 部活は言い訳にならない。 自己満足でもそれを示す。 考査の順位表なんて執着したことはないけれど、あの時の憤りをぶつけるならばそれだろう。 だからあいつには、絶対に負けないし勝たせない。 「悔しかったんだろ」 「え」 「部活で疲れて成績落ちたとか、優先順位はどうのこうのとか、言われたんじゃねえの?」 辞めた奴に、と付け加えられてやっと質問についていけた。 「誰に聞いたんです」 「顧問の先生情報。ま、そんな詳しく聞いたわけじゃないけどな。ただ順位落ちて辞める奴多いって聞いた」 すごい推理力。 顧問は何事もなかったかのような顔でいるのに。 言われたことは全部当たりだ。その通り。 だから、子供じみた感情だと分かっていても絶対に負けたくないのだ。 それでも不安なわけでも悲しいわけでもなく、変に靄がかかったような気持ち悪さはここのところ消えない。情緒不安定なのかもしれない。 「大丈夫」 いつのまにか視線を落としていた俺の頭に、少し高い位置から声が降ってきた。 何が大丈夫なんだ。 現に俺の成績は上がっているわけでもなくあまつさえ居眠りじゃないか。 「伸びるよ、お前みたいな奴は」 恐ろしく間抜けな面を晒していただろう俺に、普段生徒と大騒ぎをしている時とは違う年齢の差を感じるような微笑みを一瞬見せて、その表情はすぐにいつもと同じ学生と変わらない笑顔に戻った。 「ま、取り敢えず飯食ってこい! あいつ待ってんぞ」 恐ろしく間抜けな面を晒したままの俺の頭をぱしんと叩いて、家帰ったらさっさと寝ろよ、と何とも余計な世話な捨て台詞を残して去っていった。 取り敢えず人生の先輩様の仰る通り、腹を満たして睡眠不足を解消することにしよう。 飼い主を待つ犬よろしく弁当に手を付けずに待っている同級生からは、他人の座席を無断で使った天罰におかずひとつ強奪してやる。 年が一回り程上回っているとはいえ、こうも格好のついた対応ばかりされては俺としては腹立たしいことこの上ない。 願わくは、親愛なる担任の先生の弁当が既に赤髪と金髪の「弁当泥棒」に盗まれていますように。 ひよししでもししひよでもなく、宍戸さんと日吉が好きです。 宍戸クラスは日吉くんと鳳くん。長太郎ちょこっとしか出せなかったですが。 これを書きながら、宍戸先生を短髪にしなかったことをすんごく後悔しました。 でも女の子にいじられたりとかしてほしかったんですよ…そのうち設定ページつくります。 10011mon |